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クリスチャン・ディオールのオフィス (1946年)

クリスチャン ディオール社は、1946年10月8日、有名テキスタイルメーカーを経営するマルセル・ブサックとクリスチャン・ディオールのパートナーシップにより設立されました。クチュリエは、ディレクターおよびクリエイティブ ディレクターとして、同社の運営に密接に関わっていました。

最初の年、クリスチャン・ディオールは中庭を見渡せる場所に控えめなオフィスを構えていました。そこは秘書のマダム ヴィドメールのオフィスにほど近い場所でした。スタジオがフランソワ・プルミエ通り13番地に移った1951年、彼のオフィスは隣接する小部屋へと移りました。

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1950年頃、オフィスでスケッチ中のクリスチャン・ディオール。

ピンクの小さな記録伝票

コレクションショーの数日前、彼のデスクは小さなピンクの記録伝票で埋め尽くされます。プロトタイプの完成にともなって書かれたこの伝票から、クリスチャン・ディオールはそれぞれの価格を決定しました。そこには、各プロトタイプに費やされた時間、そしてそれに必要な作業コストと材料費が記録されていました。これには、一般的なコスト、社会保障費用、マークアップコストが加算されました。しかし、何よりもウェアの価格はそのタイプに見合ったものでなければならないので、たとえ長時間の作業を要したとしても、ウール製のリトルドレスをイブニングドレスの価格で販売することはできませんでした。

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1949年頃、次のコレクションのためのファブリックを選ぶマダム マルグリット (テクニカル ディレクター) とクリスチャン・ディオール。

アイデアのラボ

年に2回、クリスチャン・ディオールはオートクチュールのコレクションをデザインし、そこからすべてを作り上げると同時に、細部に至るまでメゾンの経営の指揮にあたりました。彼はこう記しています。オートクチュールは何より「ラボ、そしてドレスのプロトタイプ」がすべてで、その旅はどこまでも広く遠くまで繰り広げられるのです。彼のイニシアチブにより、メゾンは支店の設立や製造ライセンスの付与に取り組んでいき、海外におけるビジネスの基盤を足早に構築していったのです。

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GRIFFE

クリスチャン ディオール メゾンのプレゼンテーションパンフレット。“Christian Dior”ラベル、1953年。

30 Avenue Montaigne

モンテーニュ通り30番地の中心部に足を踏み入れてみましょう。「ミツバチがひしめき合う小さな巣箱」のようなこの場所で、75年前にクリスチャン・ディオールの伝説が生まれました。