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Parfums Christian Dior

「Parfums Christian Dior」の監修は創設時より、クチュリエの幼い頃からの友人であるセルジュ・ヘフトラー=ルイシュが務めました。フランソワ・コティと働いていた彼は、まさに理想的な人物でした。クチュールメゾンのオープン前に、彼は会社設立を提案していました。その1年後、初めてのフレグランスとして、クリスチャン・ディオール最愛の妹であるカトリーヌへのオマージュとして名付けられた、「ミス ディオール」が発売されました。

Christian Dior Perfumes 카운터, 1949년경.
「Parfums Christian Dior 」のカウンター、1949年頃。

洗練のシンボルとなった、古代ギリシャ・ローマ時代の壺であるアンフォラを象った「ミス ディオール」のボトルと、1949年に発表された「ディオラマ」のオベリスク。これらは、1953年にモンテーニュ通り30番地限定で発売されたリップスティックのキャップ デザインにインスピレーションを与えました。クリスチャン・ディオールが選んだファブリックのカラーに合わせ、リップスティックは8色で展開しました。その2年後、22色のリップスティックが登場。さらにその翌年には、クリスチャン・ディオールの幸運の花、スズランをコアノートとする新たなフレグランス、「ディオリッシモ」が発売されます。

1953年 ディオールのリップスティック用オベリスクケース。
1947年、フレグランス「ミス ディオール」のためのアンフォラボトル。
1949年頃、フレグランス「ミス ディオール」と「ディオラマ」のバカラクリスタルの限定ボトル。
1949年、フレグランス「ディオラマ」のオベリスクボトルとラグジュアリーなミラーケース。
1949年、フレグランス「ディオラマ」のクリスタルボトル。
1947年、フレグランス「ミス ディオール」のためのアンフォラボトル。
1949年頃、フレグランス「ミス ディオール」と「ディオラマ」のバカラクリスタルの限定ボトル。
1949年、フレグランス「ディオラマ」のオベリスクボトルとラグジュアリーなミラーケース。
1949年、フレグランス「ディオラマ」のクリスタルボトル。

1953年までには、フランソワ・プルミエ通り13番地のメインフロアを占める「Parfums Christian Dior-Paris」が、86か国のフレグランスの製造と流通を統括するようになりました。ただし、1948年に創設された「Parfums Christian Dior New York, Inc.」は例外として、輸入フレグランスと輸入化粧品を販売していました。

香水ボトルの箱詰め作業は、手袋をはめて行われます。
クリスチャン ディオールのフレグランスのボトル詰め、フランスのノルマンディー州にあるクールブボワ工場にて。
香水ボトルの箱詰め作業は、手袋をはめて行われます。
クリスチャン ディオールのフレグランスのボトル詰め、フランスのノルマンディー州にあるクールブボワ工場にて。
一般の人々は、新しいフレグランス、ボトルのデザイン、さらにはパッケージの研究における苦労や問題について、ほとんど理解していません。こうした仕事は時を忘れて没頭するほど面白く、今では私はクチュリエであると同時に調香師であるとも感じています。
Christian Dior

1947年にクリスチャン・ディオールは、1930年代からの友人であるイラストレーターのルネ・グリュオーにフレグランスの広告製作を依頼しました。

1963年頃、クリスチャン ディオールの4種類のフレグランス「ミス ディオール」「ディオラマ」「ディオリッシモ」「ディオーリング」のためのルネ・グリュオーによる広告。

30 Avenue Montaigne

モンテーニュ通り30番地の中心部に足を踏み入れてみましょう。「ミツバチがひしめき合う小さな巣箱」のようなこの場所で、75年前にクリスチャン・ディオールの伝説が生まれました。